コンテンツにスキップ

Marvin Gaye『What's Going On』- ソウルミュージックの革命

1971年5月21日にリリースされたMarvin Gayeの『What's Going On』は、ソウルミュージックの歴史を根底から変えた作品です。ベトナム戦争、環境破壊、貧困といった社会問題を正面から取り上げたコンセプトアルバムであり、ポップミュージックが芸術として社会と向き合うことの可能性を示しました。

アルバム概要

Marvin Gayeは1939年ワシントンD.C.生まれのシンガーソングライターです。1961年にMotown Recordsと契約し、「How Sweet It Is (To Be Loved by You)」「I Heard It Through the Grapevine」などのヒット曲で、1960年代のMotownサウンドを代表するアーティストの一人となりました。

しかし、1970年頃のGayeは深刻な精神的危機の中にありました。デュエットパートナーであったTammi Terrellの死(1970年3月)、ベトナム戦争から帰還した弟Frankieから聞いた戦場の現実、そしてアメリカ社会の混乱。これらの経験が、従来のラブソング路線からの大きな転換を促しました。

本作の制作は、Motown創設者Berry Gordyとの激しい対立を伴いました。Gordyはポップヒットの路線を維持したかったのに対し、Gayeは社会的なメッセージを持つ音楽を追求しようとしました。最終的にGayeが押し切り、アルバムは発表されましたが、この対立はMotownにおけるアーティストの自立の先駆けとなりました。

録音はデトロイトのMotown Studio(通称ヒッツヴィル U.S.A.)とロサンゼルスのMotownスタジオで行われました。アレンジはDavid Van De Pitteが担当し、Gayeの構想をオーケストラルなサウンドスケープとして具現化しました。ファンク・ブラザーズの精鋭メンバーに加え、デトロイト交響楽団のメンバーも参加し、ソウルミュージックとしては異例の豊かなサウンドを実現しています。

プロダクションにおいて革新的だったのは、Gaye自身によるボーカルの多重録音です。リードボーカルと複数のバックボーカルを自ら重ね、時に自分自身と対話するような構成を作り出しました。この手法は、内面の葛藤や多面的な視点を音楽的に表現するものとして、後の多くのアーティストに影響を与えました。

収録曲の聴きどころ

アルバムは全9曲がシームレスにつながるコンセプトアルバムとして構成されています。曲間の途切れのない流れは、一つの物語として聴くことを意図しています。

冒頭の「What's Going On」は、パーティーの喧騒の中から始まります。サックスとコンガのイントロ、そしてGayeの「Mother, mother / There's too many of you crying」という歌い出しは、ポップミュージック史上最も印象的なオープニングの一つです。ベトナム戦争に対する悲しみと問いかけが、穏やかなメロディの中に込められています。

「What's Happening Brother」は、戦場から帰還した兵士の視点で歌われます。Gayeの弟Frankieの実体験に基づくこの楽曲は、戦争の現実を個人的な物語として伝えています。ファンキーなベースラインと軽やかなリズムが、深刻な内容との対比を生み出しています。

「Flyin' High (In the Friendly Sky)」は、薬物依存の問題を取り上げた楽曲です。美しいメロディとストリングスの背後に、社会の暗部への鋭い視線が潜んでいます。Gayeのファルセットボーカルが、依存の中にある一時的な恍惚と、その後に訪れる空虚さを表現しています。

A面を締めくくる「Save the Children」は、未来の世代への責任を歌った楽曲です。「Who really cares?」というリフレインは、社会の無関心に対する痛烈な問いかけです。ゴスペルの影響を受けたコーラスが、祈りのような厳粛さを楽曲に与えています。

B面の「God Is Love」は、信仰と愛をテーマにした短い楽曲で、次の「Mercy Mercy Me (The Ecology)」への橋渡しとなっています。「Mercy Mercy Me」は環境問題を扱った先駆的な楽曲で、「Where did all the blue skies go?」という歌詞は、1971年の時点で環境破壊への警鐘を鳴らしています。サックスソロが奏でる哀愁のメロディは、この楽曲を特別なものにしています。

「Right On」は、アルバム中最も長い楽曲で、ジャズとファンクの要素を取り入れた実験的な構成を持っています。コンガを中心としたパーカッションのグルーヴが、アフリカ音楽のリズムを想起させます。

アルバムを締めくくる「Wholy Holy」と「Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)」は、精神性と社会的怒りの両極を表現しています。「Inner City Blues」は、都市の貧困と不正に対する怒りを、ファンクのグルーヴに乗せて歌い上げます。「Make me wanna holler」というリフレインは、抑圧された人々の叫びそのものです。

オリジナル盤の特徴

Tamla Records US盤のオリジナルプレスは、カタログナンバー「TS 310」で識別できます。TamlaはMotownのサブレーベルで、Marvin Gayeの作品は一貫してこのレーベルからリリースされていました。

レーベル面は、Tamla特有のマルチカラーストライプデザインが特徴です。初期プレスのレーベル面には、楽曲のクレジットが詳細に記載されています。

ジャケットデザインは、雨の中のMarvin Gayeを捉えた印象的な写真が使用されています。レザーコートを着たGayeが空を見上げる姿は、アルバムのテーマである社会への問いかけを視覚的に表現しています。ジャケット写真はJim Hensleyが撮影しました。

ゲートフォールド(見開き)仕様のジャケット内側には、歌詞と詳細なクレジットが記載されています。ライナーノーツには、Gaye自身の言葉が綴られており、アルバムの制作意図を知る上で重要な資料となっています。

音質面では、Motownの録音技術が存分に発揮されています。各楽器の配置が明瞭でありながら、全体として有機的な一体感を保っています。特にJames Jamesonのベースラインの深みと、コンガやボンゴなどのパーカッションの立体感は、ヴァイナルならではの再現力で楽しめます。

レコードで聴く魅力

『What's Going On』をレコードで聴く最大の魅力は、シームレスにつながる楽曲群を、アナログの温かみの中で体験できることです。本作はコンセプトアルバムとして、曲と曲の間の音響的なつながりが非常に重要です。レコードの連続的な再生は、この流れを最も自然に再現します。

Marvin Gayeの多重録音されたボーカルも、ヴァイナル再生で真価を発揮します。リードボーカルとバックボーカルが重なり合い、時に対話し、時に融合する様子は、アナログの温かみの中でより有機的に聞こえます。特に「What's Going On」のイントロ部分で、パーティーの環境音の中からGayeの声が浮かび上がってくる瞬間は、レコードで聴くことで臨場感が格段に増します。

ファンク・ブラザーズのリズムセクション、特にJames Jamesonのベースの存在感は、アナログ再生で圧倒的です。彼の独特のベースラインは、フレットボードの上を指が滑る感触まで伝わるほどの生々しさを持っています。

David Van De Pitteによるストリングスアレンジも、レコードの帯域特性と相性が良く、デジタルでは失われがちな弦楽器の倍音構造が、豊かに再現されます。「Mercy Mercy Me」のサックスソロの温かみも、ヴァイナルならではの質感です。

A面とB面の構成も意味深いものです。A面は社会の問題を提起し、B面はその解決を模索する。レコードを裏返す動作が、問題提起から解決への意識の転換を象徴しているかのようです。

まとめ

Marvin Gaye『What's Going On』は、ソウルミュージックの概念を根底から覆した革命的作品です。ラブソングが主流だったMotownにおいて、社会問題を正面から取り上げたコンセプトアルバムを制作するという決断は、Gayeにとっても大きなリスクでした。しかし、その賭けは見事に成功し、本作は商業的にも批評的にも大成功を収めました。

本作の影響力は計り知れません。Stevie Wonder『Innervisions』、Curtis Mayfield『Superfly』、D'Angelo『Voodoo』など、後のソウル・R&Bの名作群は、いずれも『What's Going On』が切り拓いた道の上に立っています。また、ヒップホップにおいても本作からのサンプリングは数多く、その音楽的遺産は現代まで脈々と受け継がれています。

悲劇的なことに、Marvin Gayeは1984年4月1日、45歳の誕生日の前日に父親によって射殺されました。しかし、彼が遺した音楽は永遠に生き続けています。

Tamla US盤オリジナルプレスは、ソウルファンクの黄金時代を象徴するコレクターズアイテムとして、今も高い人気を誇っています。しかし何より重要なのは、50年以上前に問いかけられた「What's Going On」という問いが、残念ながら今もなお有効であり続けているということです。レコードの針を落とし、Gayeの声に耳を傾けるとき、私たちは音楽の力と社会への責任について、改めて考えさせられるのです。

用語集もあわせてご覧ください。


Digital & Analog in Harmony.

テクノロジーとカルチャーの交差点から、共鳴を生み出す。Harmonic Society は、アナログの温もりとデジタルの可能性を掛け合わせ、音楽と文化の新しい体験を届けています。姉妹サイト Harmonic Society Philosophy では古代から現代までの哲学を、Post Web3 ではWeb3・ブロックチェーンの専門分析を発信しています。